空爆論 メディアと戦争 (クリティーク社会学)
吉見 俊哉 (著)
空から爆撃を行う“空爆”について、飛行機が生み出された以降の過去から現在 (ウクライナ侵攻) まで、空爆を行う者の眼差しはどこにいる誰のものか、爆撃の対象は何か・どのような範囲であるか、爆撃の戦略的な意図はなにか、などを深く分析し、哲学的な側面から論じ切っているように思う。
本書ではおそらく認識に近い意味で“眼差し”という言葉が数多く使われている。私としては、眼差しを伴う空爆の意味合いを考え抜く研究の存在を本書によって知れたことが大きな収穫だ。そしてこの流れの中では自然と、第二次世界大戦での日本の“特攻”も空爆論の文脈で分析されることになる。つまり、特攻において眼差しはどう扱うのか。人間を特攻という行為に集団的に至らしめる国家・精神文化・戦況とはどのようなものなのか。私がこの分析を追いつつとても驚かされたのは、当時の連合国軍がすでに、テレビカメラを搭載して遠隔操縦で無人飛行が行えるドローンTDR-1を開発し、1942年に初飛行を行っていた事実だ。これが持つ意味合いが特攻の意味合いと見事に対比されていることに、感銘を受けた。なお、ドローンTDR-1の動画はYouTubeで発見できたので以下でリンクする。
大戦中に東京や神戸など日本の都市部に対して遂行された大空襲、朝鮮戦争での空爆、9・11 (アメリカ同時多発テロ) も同様に、空爆を軸として戦争と世界を描いている本書の照準の範囲にある。拙い表現であるが、私の知り得なかった分野を垣間見せてくれる、手に取って読めたことに知的な興奮を感じる一冊だった。