Kindle版で読んだけれども書籍だと結構分厚いと思われる物語。生活の中で一気に全て読めたわけではなく、途中で別の本を挟んだりの中断ありで終えた。しかし不思議と、自分の頭には現実とは別の、この物語独特の湿地の世界が舞台として鮮やかに作り上げられ、間が空いていても読書を再開することで、湿地の世界のポーズ状態が解除されて物語の時計が進み始めるかのような、パラレルな体験ができた。
それは、物語の中での情景の微細な表現を (きっと日本語への翻訳も巧みにされているのだろう)、外部世界からの視覚情報として表現からイメージを再生成するのではなく、自分自身の心象風景と同様に頭の中にダイレクトコピーしたためかもしれない。記憶をそのまま追記されたようなもの。映画鑑賞との対比でいうならば、心象風景そのものを言葉で読むからこその体験かなと思った。なお、物語にはたびたび詩も登場しており、詩の持つ暗示性が、読者が抱く心象風景に拡がりを加えている。
この物語の時間は、2つの支流がやがて1つへまとまるように確実に、ある出来事を決着させる方向へ流れてゆく。その中にいる主人公のカイアは、自然界を観察することによって自然や生き物の在りようを知ってきた人間の、象徴として描かれているのであろう。そして人間も、いわば肉体的な一面では生き物であって。自然と人間性とが、絡み合っているから人間社会には割り切れない混沌が生じ、そこでの出来事が心に驚きをもたらしたりする。