ニュースの未来 (光文社新書)
石戸 諭 (著)
ニュースというものをどう定義し、これからもどのようにあり続けるのかを、新聞社とインターネットメディアを経て今はフリーランスのライターになっている著者の、自身の経験をたどりながら論じている。対象とする読者はどちらかというとニュースを発する側なのかもしれないが、ニュースのあり方や働きについて考えさせる内容であり、ニュースを受け取る側の人間としてもとても面白く読める。
主としてニュースを受け取る側の、たとえば私の生活におけるインプットは、自身の力で選別できているようで実はそうではない内容と量のニュースで逼迫しているかもしれない。Google Newsのページに自動集約される各見出し、Twitterのタイムラインに流れてくるサムネイル、諸々の情報源から受け取るニュースのようなもの。本書ではニュースの基本型として「速報」「分析」「物語」の3つを挙げており、これを自分の念頭に置いておくと触れるニュースの重み付けや分類ができ、その行為はニュースの趣旨を反射的にではなく冷静に受け取ることに繋がるように思った。要は、ニュースの型を知り、発する側の意図や背景を読み解くヒントとすることに、損はないはずだ。
また、本書には、個人でちょっとした情報発信をする時、つまりRetweetやブログ記事を書いたりといった場合に、その情報が拡がるか否かなどの想像に応用可能かもと感じた、「良いニュースを成立させている五大要素」が挙げられていた。これらは具体的には「謎」「驚き」「批評」「個性」「思考」だという。そういえば、ひとつのif (もし) として、私が某大学広報室の一員として広報業務に関わっている時代に本書に触れていたら、広報室からプレスリリース等で情報発信する内容について、“記者さんはこの情報を素材にどういうニュースへ仕立てるだろうか?”と高次的に捉えることがより深く出来たかも知れない (新聞記者経験がある広報マネージャーはこの読みが流石にすごかった)。デジタル技術面が担当の当時の私には、ニュースの本質を踏まえた、上記五大要素のような分析的な捉え方がなかった。
横道に逸れたので戻ると、本書は、瞬間的なPVが今や価値となったニュースの未来を憂い嘆く、という類のものではない。ニュースや人間の普遍性を考える基本から始めましょうと読者を誘い、その時代横断的な視点に、不思議と力付けられるものだ。