丹羽宇一郎 戦争の大問題―それでも戦争を選ぶのか。
丹羽 宇一郎 (著)
時代の世論は揺らいで社会の空気を変え、人々が「常識はこうだ」「真実はこうだ」「だからこうすべきだ」と判断する際の相対的な基準が、絶対的には異常な方へ、急激にズレることがある。この急激なズレは、メディアや意見者や為政者が、時代を煽って作り出しているものかもしれない。優越を得るために、支持を稼ぐために。
本書は、2017年の出版だが、戦後日本全般に対しての普遍性のある主張だと捉えることができ、ちょうどこの2019年8月現在の国際情勢や日本国内の、どこか不穏な空気に対しても、力強い問題提起をしていると思う。本書から感じた説得力を極めて短い言葉にすると、戦争という選択をしないために大切なことは、戦争の酸鼻を極めた部分 (←本書に登場する言葉) と全体を複眼的視野で知り、激情に依るのではなく冷静に国家的経営判断をすること、となろう。
戦争という選択の着火点になりうると、本書のみならず歴史が語っている、“大きい主語”を伴って肯定されがちな嫌○や反○の高まりについて。調べてみたところ、内閣府が公開している 世論調査・外交に関する世論調査一覧 (概略版のPDFファイルが閲覧しやすい) では、アメリカ・ロシア・中国・韓国などの他国に対する、日本国民 (母集団の標本数: 3,000人) が抱く親近感の年次変化を見ることができる。確かに、ここ10~20年の間に、被調査者が「親しみを感じない」割合が目立って増加中の近隣諸国がある。
これを、「うねりが深刻化している・増加傾向を逆転させなければならない事態」と捉えるか、「もっと叩こう・商機にしよう」と好戦的に捉えるか。どちらが、長く包括的な幸せに近づく状況認識だろうか? さらに、他国に対する親近感に関して、母集団へ影響を及ぼしているのは、おそらく殆ど、メディアや意見者や為政者が発した情報であろう。母集団の個人の立場としては、自分の考えや認識がどこから得た情報を解釈したものか、自身が頼る判断基準の相対的な偏りは如何ほどか、といったメタ思考的な留意が常に必要だと考える。
以上、勢いが先行して、読書感想から逸脱する内容になったかもしれない。本書のような、戦争に至るメカニズムと安全保障の真相を分析している書物を、いま、一度読むべきに思う。